踊る文学おじさんの生活

皆がすなる「ぶろぐ」といふものを文学おじさんもしてみむとて、するなり。元・文学青年の生活を書き殴ります。

砂漠でサウナ

先日、帰省中にサウナへ行った。

サウナといっても町営の温泉施設に併設された小さめのものである。5人も入れば膝と膝がくっきあってしまう狭いスペースだった。隅に熱した石を囲うためのレンガが積まれている。

 

僕は結構、サウナが好きだ。サウナと水風呂に交互に入った後の、いわゆる「整った」感覚を味わうために近所のサウナに足繁く通っている。この時もヒマを持て余していたため、半ば消去法的にサウナへ行こうとしたわけだが、「どうせ田舎のサウナだし…」と大して期待はしていなかった。

 

ところがこのサウナ、なかなか僕の好みにあっていたので驚いた。室温、敷かれたタオルの感覚、流しているテレビのチャンネルのチョイス、窓から見える景色…etc。小さいながらもきちんと手入れされた空間。良い。

 

何より印象に残ったのは、室温が100度超と、普通のサウナよりもかなり高めの設定にされていたことだ。サウナ好きならご存知だとおもうが、日本のサウナの室温は90度から95度が一般的で、100度を超えるものはなかなかレアである。僕自身も、100度超のサウナにはめったに入る機会はない。まさか、こんな地元の山奥で出会えるとは思ってもいなかった。

 

サウナ内は板張りの床が熱せられているので、直接は座れない。備え付けのタオルを敷くのだが、室温が100度を超えているため、床の熱がタオルを貫通してくる。尻が痛い。熱い。

加えて部屋全体に立ち込める熱気が容赦なく体を包み込む。

 

砂漠の熱波のような空気に、ふと井上靖の「敦煌」を思い出した。

 

敦煌」。1960年に書かれた井上靖の代表作で、西田敏行主演で映画化もされている。

あらすじ↓


官吏任用試験に失敗した趙行徳は、開封の町で、全裸の西夏の女が売りに出されているのを救ってやった。その時彼女は趙に一枚の小さな布切れを与えたが、そこに記された異様な形の文字は彼の運命を変えることになる……。西夏との戦いによって敦煌が滅びる時に洞窟に隠された万巻の経典が、二十世紀になってはじめて陽の目を見たという史実をもとに描く壮大な歴史ロマン。

 

この物語の中に、主人公の趙行徳が西域に向かうため、10日間ぶっ続けで砂漠を旅する描写がある。

Google Mapで敦煌周辺の地図を見てほしい。本当に何もない。見渡す限り不毛の大地である。距離感覚がおかしくなってくる。

11世紀の人たちがどうやって過酷な砂漠を横断したのだろうか?日中は乾いた熱風に晒され、夜間は凍える冷気に身を寄せあって耐えていたのだろうか。

そして、旅の途中でオアシスを見つけた時の喜びはいかばかりだったろうか。

早々にサウナに根をあげ、水風呂に入りながらそんなことを考えていた。

サブカル女子はどこへ消えた?

サブカルというものが好きである。いや、好きであったという表現が正しいのか。

 

20代前半から半ばにかけて、「大衆に迎合しない俺カッコイイ」、いわゆる大二病に罹っていた時期があった。

大学を卒業してからも当分は罹患していたから、相当重症である。(今でも罹っている説もある)

具体的な症状を言うと、

・やたらと飲み会を開きたがる

・飲み会を「呑み」とか言っちゃう

・全身全霊をかけてmixi日記を書く

・その時の日記のタイトルが村上春樹の小説の引用だったりする

・ダウナーなロキノン系バンドばかり聴く

・カラオケで誰も知らないマイナーバンドの曲をドヤ顔で歌う

・特に用もないのに下北沢をウロウロする

etc...

うーん、これ単にメンヘラの嫌な奴だな…。思い返すだに恥ずかしい。

胃がキリキリしてきた。

 

当時は何か他人と違うことをしたくて、色々と斜に構えて行動していたのだが、いかんせん根っこは東北の田舎者である。

生まれも育ちも東京のシティボーイ(死語)たちの、スマートな振る舞いにはかないっこないのであった。

 

そんな僕であったが、長年症状をこじらせ続けていると、類は友を呼ぶのだろうか、自然と同じようなタイプの人間と付き合うようになった。

そう、その仲間のうちにいるのである…。

サブカル女子が。

極太フレームのメガネをかけ、ベレー帽をかぶり、首からはCanonios Kissをぶら下げ、夏でもブーツしか履かないサブカル女子が!

だいたいメンヘラも併発していて、何故か一様に椎名林檎Coccoが好きで、ヴィレッジバンガードで売ってる本しか読まないよ、みたいなサブカル女子が!!

やたらと酒強いアピールをし、僕が最近読んだ本の話をすると、「あ〜、ようやくその辺のカテゴリ読み始めたか」とマウントを取り、リア充たちの前では借りてきた猫のように大人しくなるサブカル女子が!!!

 

(取り乱しました、すみません…。)

 

今なら微笑ましいエピソードなのだが、当時の僕はこのサブカル女子という人種に一種の同族嫌悪の念を抱いていた。自分の好きなものの話は通じるし、相手の話していることもだいたい分かる。でも、会話はそんなに楽しくない。

僕も相手も自分が大好きすぎてあまり人の話を聞いていないのだ。サブカル界隈の人間にとってはあるコンテンツを「知っている」ということ自体が大きな武器だし、必然的にマウント合戦になりやすいのだと思う。

だから、相手と会話しているのではなく、相手を打ちのめすような、それでいて自分の知識を再確認するような、そんな話し方になってしまっていたのだろう。(どちらもコミュ障過ぎて目を見て話せなかった)

 

そんな当時のサブカル女子たちも、今やそろってアラサーだ。

一昨年、学生時代に付き合いのあったサブカル女子から結婚式のお招きを受けた。聞けばお腹の中には赤ちゃんもいるという。

あんなに攻撃的だった性格は鳴りを潜め、サブカル趣味もすっかり卒業したそうだ。今ではすっかり良き妻であり母である。人間、変われば変わるものだ。

大学を卒業後、彼女とはめっきり交流が無くなってしまっていたのだが、いつどのタイミングでサブカル趣味をやめたのだろう?僕自身も、サブカルから遠ざかった時期をはっきりとは覚えていないのだが。

 

昔のコギャルやヤマンバギャルが大人になってナチュラルメイクのOLになったように、サブカル女子も自然と卒業していくものなのだろうか。

スタバで熱っぽい議論をしているサブカル風の学生を見るたびに、少し気恥ずかしいような、寂しいような気持ちになるのであった。

 

元・文学青年の呟き

私は今年で31歳になるが、今から10年ほど前の学生時代は、典型的な文学青年をやっていた。

それも結構立派に。

 

古今東西、あらゆる本を年間100冊以上読んでいたように思う。

漱石の「坊ちゃん」から始まり、明治・大正の古典を読みあさっていた。芥川、太宰はもちろんのこと、鷗外の「舞姫」のような意味不明すぎる日本語もなんとか読んだし、田山花袋永井荷風志賀直哉泉鏡花も読んだ。

海外ではドストエフスキートルストイチェーホフなどのロシア文学にハマり、「カラマーゾフの兄弟」にいたっては大学在学中に2回も読破した。(イワン推しである)

 

当時はケータイ小説の類がまだまだ流行っていて、作中のヒロインはだいたい難病に冒され、余命があと14日とかいうよく分からない事態になっていた時代だ。

そんな中、僕は「みんなと違うことをする俺カッコイイ!」と信じていたし、その気持ちが態度にも出ていたと思う。

少なくとも僕の周りにカラマーゾフを読んでいる人はいなかった。たぶんみんなは合コンとかサークルに精を出していたに違いない。

 

みんなと違う本を読んでいるから、当然周囲からは「変人」のレッテルを貼られる。

当の本人もそれが気持ち良かったりするのである。(この虚栄心の塊みたいな性格は今でも続いている)

自分は何か特別な存在で、将来は人と違った暮らしをするんだろうな、と漠然と思っていた。

いかん、完全にこじらせている。いや、今でもこじらせは継続中なのだが…。

 

それが大学卒業後の暮らしはどうか。

普通も普通、まるきり凡百の徒である。

「自分は特別」という万能感は働きはじめて3年も経てば消え失せ、残るのはただ無力感だけ。「社会の厳しさ」なる謎のワードに屈服させられてしまったのである。

 

本も読まなくなった。

あれだけ読んでいた小説が、頭に入ってこない。所詮フィクションだ、現実の俺には何の変化ももたらさない、と脳が拒否してしまっているようだった。

実利を求めて自己啓発本や資格関係の本などは読むが、それも年に5冊も読めば御の字というところである。

(自己啓発本は1冊も読めば、あとはだいたい書いてあることは一緒、と悟るのは社会人4年目くらいのときだ)

 

困ったことは、本を読めなくなったことだけではない。

読んだ内容を思い出せないのだ。

芋粥」や「斜陽」のような、教科書に載るレベルの作品でも、あらすじが思い出せない。ぼんやりと話の流れは覚えていても、オチが思い出せない。

こういうことが増えていった。

 

いやはやまいった…。

 

何故か。

 

色々考え、原因は僕の読書スタイルにあることが分かった。

すなわち、僕は読んだ本のアウトプットをまったくしていなかったのだ。読むだけ読んで、「面白かった〜」で済ませ、すぐに次の本に移っていた。

これでは感想が「ヤバい」しか言えないその辺のねーちゃんと一緒ではないか…?

ヤバい。

これはヤバい。

 

まあそんな経緯があって、ブログを始めることにした。

読んだ本や日常のできごとを、その時の僕の言葉で綴っていこうと思う。

きっと何年かあとに見返したときに、何かの財産になるはずだ。

 

そして、昔、「何者かになれる気がしていた」元・文学青年、文学少女のような同好の士にも、楽しんで読んでもらえるような内容にできれば幸いである。